1990年以降のバブル崩壊の事例(後編)

 

前回は、1990年以降の日本のバブル崩壊の事例を見てみました。

今回は、アジア通貨危機、ロシア経済危機、ドットコム・バブル崩壊について検証したいと思います。

 

 アジア通貨危機とロシア経済危機は、2000年以降のバブル崩壊と異なり、グローバルな金融市場への影響は、それ程大きく感じられませんでした。海外の経済事象に関する報道が十分ではなかったこともあるかもしれません。関連する有価証券や為替に関して影響があったことは想像に難くありませんが、米国株式市場に限れば、日本のバブル崩壊、アジア通貨危機、ロシア経済危機の際も中長期で大きな下落は見られませんでした。

但し、アジア通貨危機もロシア経済危機も振り返ってまとめてみると、現在であれば、相当な危機の連鎖が生じた可能性を感じます。

 

前回のブログでも触れましたが、当時は、金融マーケットのグローバル化がそれ程、進んでいなかったことが背景と思われます。それに対して、リーマン・ショックは、リーマンブラザーズの破綻によって、グローバル金融機関同士の信用が毀損され、破綻の連鎖が危惧されました。各国中央銀行の危機対応策によって、ダメージは限定的で済みましたが、個人的には、極端な言い方になりますが、「資本主義の危機」にも感じました。

 

今回は、日米の株式騰落率に加えて、米国政策金利をまとめてみました。

 

 

日経平均 SP500 米国政策金利
(年末値)
イベント
1989     8.25% 日経平均最高値
1990 -38.7% 4.51% 7.00% 日本バブル崩壊開始
1991 -3.6% 18.86% 4.00%  
1992 -26.4% 7.34% 3.00%  
1993 2.9% 9.76% 3.00%  
1994 13.2% -2.32% 5.50%  
1995 0.7% 35.20% 5.50%  
1996 -2.6% 23.61% 5.25%  
1997 -21.2% 24.69% 5.50% 日本信用不安とアジア通貨危機
1998 -9.3% 30.54% 4.75% ロシア経済危機
1999 36.8% 8.97% 5.50%  
2000 -27.2% -2.04% 6.50%  
2001 -23.5% -17.26% 1.75% ドットコム・バブル崩壊
2002 -18.6% -24.29% 1.25%  
2003 24.5% 32.19% 1.00%  
2004 7.6% 4.43% 2.25%  
2005 40.2% 8.36% 4.25%  
2006 6.9% 12.36% 5.00%  
2007 -11.1% -4.15% 4.25%  
2008 -42.1% -40.09% 0.25% リーマン・ショック
2009 19.0% 30.03% 0.25%  
2010 -3.0% 12.78% 0.25%  

 

 

 金利水準は異なりますが、危機発生の前年末の米国政策金利は高めの水準が多く、危機が生じた後に利下げに転じている傾向がわかります。やや、自国の危機対応を優先していた印象は否めません。ドットコム・バブル崩壊やリーマン・ショックのケースが該当します。その一方、アジア通貨危機やロシア経済危機の際は、年末基準では、目立った利下げは行われていません。

 

基軸通貨国(米国)の政策金利の水準が高い場合、何らかのきっかけ次第で、他国でショックが発生しやすくなる可能性が考えられます。

 

 特に為替政策でドル・ペッグを採用している国などでは、為替を米ドルと連動させるため、国内の経済事情に関わらず、政策金利の上げ下げを米国に連動させなければなりません。景気が悪いのに金利水準を高く維持しなければならないケースなどは、個人消費や企業の資金調達に影響が及ぶ可能性が考えられます。そこに不測のアクシデントが加わると、通貨危機の発生確率が上昇するようにも思えてきます。

 

 

 

【アジア通貨危機】

 

 1997年にアジア通貨危機が発生しました。

 

米ドルとのペッグ制(米ドルと自国通貨を一定の範囲に連動させる為替政策で、金利を連動させるため、金融政策の自由度が犠牲になります)を採用していたタイ・バーツが暴落したことから、アジア各国に危機が連鎖した事例です。

 

当時、米国は強い自国通貨政策を指向しており、米ドル高が進行しました。ペッグ制を採用していたアジア諸国は、それに連れて自国通貨が上昇し、輸出が伸び悩み、経済成長に影を落としていました。

 

各国通貨が米ドルに連動することで、経済成長鈍化の中で為替の実力が過大となったことから投資妙味があると判断したヘッジファンドが大規模な通貨への売り仕掛けを行い、外貨準備高が枯渇した(為替介入の原資が無くなることを意味します)各国の通貨は暴落し、IMFの管理下に入りました。当初は、タイがターゲットでしたが、マレーシア、フィリピン、インドネシア、韓国と幅広い国と地域に危機は連鎖していきました。

 

また、通貨暴落だけでなく、海外からの借入れに対する信用不安も生じました。

結果として、各国はペッグ制を諦め、変動相場制の為替に移行することになりました。

 

今、同様の危機が起きたら、金融システムが耐えられないかもしれませんね。

 

 

 

【ロシア経済危機】

 

1998年に起きたのが、ロシア経済危機でした。

 

 資源大国であるロシアですが、当時、輸出の80%を天然資源に依存している状況下で、世界的なデフレが発生し、資源価格下落に伴い税収が減少し、財政悪化が進展しました。マクロ経済悪化で通貨ルーブルも下落し、前年のアジア通貨危機によって投資家のリスク回避指向が高まったこともあり、同国から資金が流出し、更に状況が悪化しました。

 

また、事態を複雑化させたのが、ノーベル経済学賞受賞者も参加したLTCM(ロング・ターム・キャピタル・マネジメント)というヘッジファンドの存在です。ロシアの混乱で大幅下落していたロシア株式などに投資したところ、更なる下落に見舞われ、結果、破綻に追い込まれました。同様の手法を用いていた多くのヘッジファンドも危機に瀕し(各国の金融機関と100兆円単位の金融取引契約があったとされます)、各国の中央銀行は、利下げと緊急融資で金融危機の連鎖を防いだという経緯です。リーマン・ショックを彷彿とさせますね。こちらの危機も現在であれば、相当なダメージが発生しそうです。

 

当時、グローバル運用に携わっていた知り合いの方のお話では、ロシア経済危機(LTCMという巨大なヘッジファンドの破綻を含む)の際に、「資産価格が下落するだけでなく、最終局面では、様々な資産の流動性が消えた(売りたくても買いが消滅して、売却不能になった)」と回想されていたのが印象的でした。

 

ロシア経済危機は、不幸にして幾つかのアクシデントが重なって、危機が深刻化した印象です。当時、リアルタイムでは、日本での報道は限定的だったように記憶しています。もっとも、1998年は、国内でも日本長期信用銀行や日本債券信用銀行の経営破綻、一時国有化がありましたから、他国のことどころでは無かったとも言えますし、私自身、そこまで意識が回らなかったのかもしれません。

 

 

 

【ドットコム・バブル崩壊】

 

 米国では、1999年頃より、ドットコム・バブルが発生し、NASDAQ指数が急騰しました。日本でも同様に情報通信セクターが物色され、ニュー・エコノミー、オールド・エコノミーなどと称され、IT企業が脚光を浴びた時代です。2001年には、バブルが崩壊し、短い宴となりました。

 

1990年代後半に双方向通信を大量に処理できる電子商取引が実現したことから、情報技術関連企業に注目が集まりました。ベンチャー起業やベンチャー投資も盛んとなり、社名に「ドットコム」とついているだけで、多額の資金調達が可能だったと言う話がありました。

 

米国では、マイクロソフトやインテル、イーベイなどが注目され、日本では、旧ヤフー、ソフトバンク、光通信などが代表銘柄でした。日本でも各社の株価が連日、大幅高となり、各運用会社のFMは、パフォーマンスが劣後しないように、当時のエコ・ファンド(最近のESGに近いコンセプト)も積極的にIT関連の代表銘柄を組み入れていた記憶があります。

もっとも、バブル崩壊過程では、光通信の株価は20日営業日以上のストップ安(値幅制限いっぱいの下落)に見舞われました。一方向にプロの投資家もバイアスを掛けていた結果と言えば結果でしたね。

 

ソフトバンクの孫さんは、当時、米国で流行した経営手法を持ち込み、タイムマシン経営という高い評価を受け、同社の株式時価総額増大に貢献しました。

 

また、旧ヤフーの株価が1億円突破した際に、ニュースステーションで報道されていた記憶があります。1997年11月に上場した際の株価が200万円だったのに対し、2000年2月には、1億6,790万円(更に4分割してますから、実質4倍です)になりました。200万円が約2年で、約6.7億円になったことになります。強烈な上昇相場ですね。

 

得てして、マーケットが過熱し、バブル化すると、高い株価を正当化するために、株式市場関係者は、新しい指標を考え出す傾向があります。当時も株価売上高倍率(PSR)という指標が登場しました。(以前から存在していたらお詫びします)

 

 

余談ですが、当時はまだ、米国株に投資できるアプローチが乏しく、個別株も投資信託も一般的には無かった記憶があります。従って、米国ドットコム企業に投資できたケースは稀だったと思われます。

 

宴の終わりは、FRBの利上げがキッカケとされています。

更に、2001年の9月11日の同時多発テロが株式市場にはトドメになったようです。

 

多くの企業が経営危機や破綻に追い込まれましたが、それでも、マイクロソフトやインテル、アマゾン、アップルなどが後世で大きく成長しましたね。

 

 金融緩和で株式市場や不動産市場に過熱感が高まったケースで、基軸通貨国である米国で利上げがあると、過熱は確かにおさまるものの、弊害が出やすくなるも考えられますね。また、過去の事例から、米国以外の地域にも、少なからず、影響が及んだことがわかりました。2022年11月現在、FRBは、大幅な利上げを継続していますが、今後、潜在的なリスクが顕在化してこないことを祈念します。

 

 

次回は、「高配当株モデルポートフォリオ」の予定です。

 

 

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